学校教育リフレクション

主に学校教育を中心に綴ります。「学び」は学校に限らず、家庭、地域、社会と広く、生涯を通じて営み、人を育むものと考えています。

くしゃみを注意する

 派手なくしゃみをする生徒に、「随分派手なくしゃみをするな」と声を掛けたら、

○○先生達には、「注意されました」と返ってきた。

生徒の受け取り方だと思う。

「くしゃみをやめなさい。その咳払いは何?」と言うのでは、誤解が生まれる。

 いじめの「しぐさ」の一つであれ、その言い方には教師の高圧的な上から目線(別の言い方を考えたい:教師のしっかり指導しなければならないを上手く表現したい)では、伝わらない。

 まずは「心配している、気になる」を伝える。「大丈夫か、風邪か」など

 何人もするなら全体に投げかける。「クラスで流行っているのか」など

 いじめの「しぐさ」特定の生徒の時だけするなら、はっきり聞く「○○の時に多いようだけど、どうして?」生徒指導が厳しい状況になっているなら生徒から「先生の勘違いですよ」と返ってくる。沈黙が続くなら生徒の中にためらいや罪悪感がある。「やめようね」で終われる。

 「先生の勘違いですよ」と公然と教師に言い返された時は細心の注意を払う。本当に自分(教師)勘違いなのか。いじめの「しぐさ」を感じる先生は勘違いではないと思います。ここで「そうか、先生の勘違いか」と認めてしまうと、いじめの「しぐさ」は教師公認の「しぐさ」になってしまう。

 どうすればいいのでしょう。「そうかもしれないが先生はそう感じるし、もしわざとなら、それはイジメです。本人がそうではないと言っても私はイジメだと思います」と伝える。そして、担任や学年の先生にその事実を伝える。

 いじめは必ずしも多数から一人に向けられるものではない。たった一人からのイジメもある。いじめは決してなくならない。だからこそ授業の中のいじめの「しぐさ」を見逃してはならない。いじめられている生徒は、認めたくないし自分がそうされても仕方がないと思っているかもしれない。