学校教育リフレクション

主に学校教育を中心に綴ります。「学び」は学校に限らず、家庭、地域、社会と広く、生涯を通じて営み、人を育むものと考えています。

自覚

自分はこんなことをしたい。自分への気づきから決意や自己決定へ

自分には向いていない。資質の気づき。

環境に大きく影響されるが、生まれに関係なく志が高い人がいる。

素質と全く関係ないところに向かうこともある。向いていないのにやりたい。

 

自分を知るということになるのかもしれない。

世の中の色々なことに触れてみて、自分のやりたいことが見つかる。

こんなことが自分はできるじゃないか、と思える。

理由は様々でも、動き出す動機には十分なはず。

 

子どもの貧困と虐待は、教育問題ではない

 子どもの貧困や虐待が問題になっている。学校でも話題になっているが、対応はしても対策をとることはできない。それは、子どもの貧困も虐待も教育問題(文部科学省)ではなく、生活と労働の問題(厚生労働省)の問題である。なぜなら、経済力がなく進学できない、食事を与えられない(ネグレクト)といった貧困と虐待に対して学校は何もできない。児童相談所や役所に相談するように保護者に進めるか、通告するしかない。子どもの問題イコール学校の問題ととらわれがちだが、その対応の範囲を考えると適切ではない。日本の教師は、教科指導の他に生活指導、保護者対応、部活指導と何役もこなしている。そこに保護者の生活をみる余裕は皆無である。しかし、心ある教師は目の前の子どものために、環境を整えるために言いたくもないことを保護者に伝える。「何の権利があって」と保護者からクレームがきてもおかしくない。それは教師は子ども教育に関わる者であって、保護者の生活指導をする立場ではないからだ。

 貧困はどうすることもできないが、虐待は対応できる。発見と報告である。子どもを保護者から守るという、恐ろしい目的だが見過ごすことはできない。そして、保護者が「なぜそうしてしまうのか?」理解と相談にのることで、子どもの環境が改善されることは幸いである。身近に子どもと関わる教師の務めだと思う。

環境

家や地域、国を選んで生まれてくる人はいない。その人の人生に大きく影響するものであることは間違いない。生活環境、文化や風習などがそれに当たる。

 

同じ環境で産まれながら、自分の力を見つけ最大限に伸ばしていく人や埋もれていく人、力を伸ばすのではなく充実を選ぶ人それは人それぞれである。

 

産まれた環境は変えらえないわけではない。親元を離れる(距離を置く)親から離れなければならない。進学や就職など取り巻く環境が時間とともに変化していく。まるで時間が止まったように変化のない場で過ごしている人もいる。

 

環境の中の大きな要素は、気持ちを問題とする精神論や親子関係などの心理面ではなく経済問題である。命の安全が保証されているなら、お金があるなし大きな問題になる。

 

正直な話、お金に余裕があれば親がいなくても生活に困窮せず、進学や人生を楽しむことができる。お金は人生に潤いを持たせる。もちろん、親がいることで精神的に支えられ安心して人生を充実させている多くの人はいるだろう。

 

環境は、産まれたところの経済力が大きい。その個人差を埋めるのは政治の問題・社会保障の話になる。影響力の大きい「お金」の次に生活環境、文化を考える時、自分の力で環境を変えられるように、自分自身を強く太くする身につけてほしい「良い習慣」というものがある。

5つの習慣

証拠の問題「どうしてそうだということがわかるのか」

多様性における視点の問題「誰が言っていることなのか」

ものごとの関係やパターンを探ること「何が原因なのか」

仮定「事情が違えば事態はどう変わっていいたか」

なぜこの一つ一つが重要なのか「誰にとって重要なのか」

 

デボラ・マイヤー 北田佳子訳 「学校を変える力」

 

意識しなくてもしていられる習慣になるのは、 なかなか難しい。

でも、習慣になっていたら確かに強く太い自分になっている気がしませんか。

未成年の自殺

2017年5月28日の朝日新聞のフォーラム「君は一人じゃない」小さないのち

そこには、減らない子供の自殺のことが載せられていた。

いじめ問題にスポットを当てた記事であった。警察庁のデータを見ると、年々自殺率は減り続けているのに、未成年のそれは横ばいだった。

その中で、多岐にわたる原因・動機で、1番多かったのは「学業不振」、「進路に関する悩み」の多さが気にかかった。「未来への投資」のであるはずの「学習」が命を絶つ理由になっている。

学校関係者として、とても悲しい事実である。

 

そして、3日後の5月31日、朝日新聞の小さな記事に15〜39歳の自殺政府白書「深刻」の記事を読んで、さらに悲しくなった。

10歳から44歳(5歳区切りの統計)までの死因の第1位がなんと自殺であるからである。15〜34歳までの(5歳区切りの統計)第2位の死因は不慮の事故。社会生活の中で防げたものかもしれない。命を失っている。

自殺の理由の内訳を見ると、「遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上可能 」としているが、自殺の動機の理由の中で「学校問題」が一番多く選ばれている。 その中でも対人関係の理由よりも、入試や進路、学業不振が上位を占めている。

いじめをはっきり示唆できずに学業の陰に隠れているのかもしれない。それでも、学校履歴によって死を選ぶ若者が数多くいることは間違いない。

毎年500人以上の未成年がその命を絶っている。 

素質

「あなたは、声楽の才能があるわ」恩師に言われて、始めました。

飛び抜けた才能の持ち主は、幼い頃からその片鱗を見せ始める。

 

自分の才能を一生見つけられないままで終わる人もいる。ほとんどの人がそうだと思う。

もし、全ての人が自分の才能に気がつき、それを磨いているとしたら、世界は素晴らしいもので溢れかえっているだろう。

学校教育の9教科でも十分多岐にわたっている。一つの教科でも色々な分野がある。

それでも人の多様な素質に対応できない。既存の価値観にとらわれ本当の才能が見えないのかもしれない。

 

素質>能力>才能>知能

 声が大きい>大きさを調節できる>調節の精度を向上させられる>MIの知能へ

<知能>とは、「ひとつ以上の文化的な場面で価値があるとみなされる問題を解決したり成果を想像する能力」

ハワード・ガードナー MI個性を生かす多重知能の理論 P46 新曜社 

 

バーノンによる「知能Bとは、ある個人の素質的装備の許しうるかぎりで、その個人が環境との相互作用を通じて獲得したシェマタあるいは心的なプランの累積された総和を指す

R・R・スケンプ 数学学習の心理学 P5 新曜社

 

自分にどんな能力が備わっているか、どんなものが得意で苦手か見つける。

慣れないものこそ挑戦し、見つけていく。

 

素質は「自分の可能性、他人と比べるものでも比べられるものでもない」

 

ステージ

発達段階、スモールステップ(学習過程)、死の受容プロセス、概念(1次的、2次的概念)、理解(知識の獲得)、成長(動機と欲求)には、それぞれ段階がある。

 

それは、個人の素質的装備や環境との相互作用、時間軸を強く主張しない。

症状や状態から様々な要因を精選し取り除き分析して、視点を絞り込んでいる。

 

全てにおいて、次の目標があるのに停滞や後退を繰り返し、なかなか前進しない。

成果を上げているところもあるから、方法が間違っているとも思えない。

 

一人一人の素質、環境、自覚、意欲、継続時間ごとに考えると、同じ目標でも全く違った方法をとった方が効果的な場合が多くある。

今いるステージ(素質、環境、自覚、意欲、継続時間)から次のステージへ、資質も成長とともに変化する。ここまでかなと思っても、その先の可能性は否定できない。

 

ステージ

 素質:もって生まれたもの 能力や好みなど

 環境:家庭環境や生まれた地域、生活環境、文化や風習など

 自覚:環境に大きく影響されるが、生まれに関係なく志が高い人もいる

    また、素質と全く関係ないところに向くこともある

 意欲と継続時間:影響を受けやすく、脆いところがある。しかし、尽きることなない意欲と継続することで幸福を得ることもある。

 

 5つの要素を適切に汲み取ったものを「ステージ」と呼ぼう。

ステージを適切に汲み取ることが、なかなか前進できない理由に思えて仕方がない。

ステージは、あらゆる分野に存在し、多様な視点により支えらている。

 

「自分の可能性を自覚させ、意欲と継続時間を持続させる」それが学校教育だと思う。

 

修復的司法とは何か

スクールソーシャルワーカー

山下英三郎  修復的対話 RJサークル

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ

 

 

刑罰ではなく  対話を用いた司法

 

犯罪や非行 他人に周りに不快感や憎悪をもたせた先に

 

本人にとってだけではなく その人たちにとっても

  関わった全ての人にとって

    痛みと向かい合い 

     過去となったものを 引きずり 囚われている

       全ての人が 一歩前に 進む 

 

辛い一歩でも その先にあるものを信じる 

   

   そんな 取り組み