不登校という二次障害
不登校になる理由は様々である。
そして、不登校の理由が変わり、不登校であることが理由になる。
「休み過ぎて行きにくい」それである。
義務教育である学校を行かないと公共の様々なサービスも受けられない。
学習はもちろんのこと、学校保険法に定められた健康診断もである。内科健診、身体測定、聴力検査、尿検査、心臓検診、歯科検診、耳鼻科検診、全て無料で受けられ、健康や成長に問題のある子どもを見つけるためのものである。
不登校を2次障害という視点で見ると、確かにいじめや馴染めないという様々な理由で始まったとしても、行かなければならない、行きたいのにいけない、という葛藤から行けずにいる自分を責め、周囲からの励ましの声も結局行けないことで自尊を挫いてしまう。いじめであれば他者からの攻撃が、自らの攻撃に苛まれる。馴染めない、ちょっとしたトラブルであれば、自分が悪い弱いといった自己否定につながり自己有用感を貶めてしまう。こうなると新たな場所を求めて、いじめや馴染めないといった理由を取り除いても、まず気持ちを奮い立たせるという大きな作業が必要になり、スタートを切るのも困難になる。また、家族関係も微妙なものとなる。学校に行く、行かせるのが当然のような風潮により、それができない事への疑問や苛立ちが湧き上がる。その矛先が子どもや学校に向けられたり、保護者自身を責めることもある。そうした親の姿を見ることでも、親を苦しめているのは自分だとさらに責める。教師の良かれと思った行為や学校におけるルールに縛られしまった行為(無自覚であることが多いが)によって、期待や学校のルールを守れないことでさらに傷つくことになる。蟻地獄のように、もがけばもがくほど深みにはまる、息の詰まるものが不登校である。
学校に行く意義を全く持たず、独立独歩で我が道を進んでいるのは不登校ではない。
不登校は、学校に行かない行けない、そのもので苦しんでいる子どもの問題であり、それを生み出している社会の問題でもある。
若者の命 守るため
2017年6月24日 朝日新聞 オピニオン
若者の命 守るために
身近に自死を感じている2人の記事が掲載されている。
「困難な問題でもいろんな解決策がある」ことの具体的な知識を身に付けられれば、安心感にもなり、いざという時に助けを求めてみようという気にもなる。生きることの促進要因にもつながります。
一歩を踏み出す勇気が必要ですが、他者への想像力を鍛えることが、絶望や孤立の防波堤となり、自殺という選択肢を社会から根絶する道につながっていくと思います。人は生きているだけで、素晴らしい。
2人とも、「自死」に向き合い真剣な眼差しを持っている。
でも、当事者自身にスポットが当たっている。
若者の死因第1位が自死である国とは、どんな国なんだろう。
若者が死を選ばなければ解決できないような状態とはどんなものなんだろう。
どんな失敗をしても、どんなに深い挫折を感じても、
次があるさ。気持ちを切り替えられない。追い詰めるている社会。
ワンチャンス もうワンチャンス と考えられる社会はどんなものか?
転職が人生経験に、数多くの職業体験が経験値と考えられる社会がいいのではないか。
仕事を辞めたら弱い奴、長続きしない奴、ダメな奴、という固定観念があるのでは。
ダメだったではなく、自分に合わなかった。
その仕事の良さがわからなかった。
その仕事がどんなことに役立っているかわからなかった。
新卒しか採用しない会社。そして、食いつぶしていく。
これからの日本は少子化。採用できる新卒は奪い合いになる。
でも、目を横に向けてほしい。そこには、採用を待つ若者がきっといる。
日本は人材の宝庫だ。
世界でもハイレベルの教育をこれだけのコストで行なっている。
全ての若者に、学び直しできるチャンスを。
自己投資ではなく、社会からその機会を保証するべきだろう。
若者が明るい未来を目指せる社会。自己責任ではなく社会責任で。
ビッグファイブ
学校の成績を決めるのは知能だと思われているが、実はそうではないかもしれない。学校での成績を予測する場合は、従来のテストで測る「知能」よりも、「性格」の方が優れた判断材料になる、という新たな研究結果が発表された。具体的には、明るく開放的でかつ勤勉な学生の方が、単に知能が高いだけの学生よりも成績が良かったという。
オーストラリアの研究チームは、「ビッグファイブ」と呼ばれる性格5つの特性(外向性、情緒不安定性、協調性、勤勉性、経験への開放性)を測定した値と、大学生の成績やテストの点数を比較した。
その結果、成績に最大の影響を及ぼしていた要因は、「経験への開放性」と「勤勉性」だった。これまでの研究でも、この「経験への開放性」と「勤勉性」は、様々な分野での成功に関係しているということが分かっており、今回の研究は、従来の研究結果を裏付けるものとなった。
従来の研究で分かっていたのは、「経験への開放性」(知的好奇心や、新しい情報を得ることにどれほどワクワクするかを示す因子)は、クリエイティブな面での成果を予測する最大の因子で、「勤勉性」は、ビッグファイブの中で唯一、常に成功を予測できる因子であるということだ。
今回の調査では、まずは学生に自分の性格の評価をしてもらい、さらにその学生のことをよく知る第三者に、その学生の評価をしてもらった。その結果、「学生の自己評価は、成績を予測する上で知能と同じくらい有効」であること、また「その学生をよく知る第三者からの評価は、成績を予測する上で知能よりも4倍近く正確」であることが明らかになったという。
今回の研究の主執著者であるグリフィス大学応用心理学部のアーサー・ポロパット博士は、「実際的な観点から言えば、生徒がどれだけ努力できるか、またその努力をどこに集中させるかは、少なくとも、その生徒が賢いかどうかと同じくらい重要だ」とリリースで述べている。「最も有益な性格因子を持つ生徒は、平均的な生徒より成績が良くなる」
ポロパット博士は「性格は変わるものだし、生徒の勤勉性と開放性を訓練し、彼らの学習能力を向上させている教育者たちもいます」とも指摘している。「これとは対照的に、人気の脳トレ・アプリで知能を向上できるという証拠ははほとんどありません」
今回の調査結果は、従来の測定方法では「賢い」と見なされないような子供たちでも大きな成功を収めることができる可能性に気づかせてくれる。その点で重要な意味を持つと言えるだろう。性格は知能より柔軟性があるため、成績が伸び悩んでいる生徒に対しては、有効な性格因子、なかでも知的好奇心と高い学習意欲を養えるような支援すると、成績を上げる強力な手段になるかもしれない。
この研究は、『Learning and Individual Differences』誌に掲載されている。
子どもの貧困と虐待は、教育問題ではない
子どもの貧困や虐待が問題になっている。学校でも話題になっているが、対応はしても対策をとることはできない。それは、子どもの貧困も虐待も教育問題(文部科学省)ではなく、生活と労働の問題(厚生労働省)の問題である。なぜなら、経済力がなく進学できない、食事を与えられない(ネグレクト)といった貧困と虐待に対して学校は何もできない。児童相談所や役所に相談するように保護者に進めるか、通告するしかない。子どもの問題イコール学校の問題ととらわれがちだが、その対応の範囲を考えると適切ではない。日本の教師は、教科指導の他に生活指導、保護者対応、部活指導と何役もこなしている。そこに保護者の生活をみる余裕は皆無である。しかし、心ある教師は目の前の子どものために、環境を整えるために言いたくもないことを保護者に伝える。「何の権利があって」と保護者からクレームがきてもおかしくない。それは教師は子ども教育に関わる者であって、保護者の生活指導をする立場ではないからだ。
貧困はどうすることもできないが、虐待は対応できる。発見と報告である。子どもを保護者から守るという、恐ろしい目的だが見過ごすことはできない。そして、保護者が「なぜそうしてしまうのか?」理解と相談にのることで、子どもの環境が改善されることは幸いである。身近に子どもと関わる教師の務めだと思う。
環境
家や地域、国を選んで生まれてくる人はいない。その人の人生に大きく影響するものであることは間違いない。生活環境、文化や風習などがそれに当たる。
同じ環境で産まれながら、自分の力を見つけ最大限に伸ばしていく人や埋もれていく人、力を伸ばすのではなく充実を選ぶ人それは人それぞれである。
産まれた環境は変えらえないわけではない。親元を離れる(距離を置く)親から離れなければならない。進学や就職など取り巻く環境が時間とともに変化していく。まるで時間が止まったように変化のない場で過ごしている人もいる。
環境の中の大きな要素は、気持ちを問題とする精神論や親子関係などの心理面ではなく経済問題である。命の安全が保証されているなら、お金があるなし大きな問題になる。
正直な話、お金に余裕があれば親がいなくても生活に困窮せず、進学や人生を楽しむことができる。お金は人生に潤いを持たせる。もちろん、親がいることで精神的に支えられ安心して人生を充実させている多くの人はいるだろう。
環境は、産まれたところの経済力が大きい。その個人差を埋めるのは政治の問題・社会保障の話になる。影響力の大きい「お金」の次に生活環境、文化を考える時、自分の力で環境を変えられるように、自分自身を強く太くする身につけてほしい「良い習慣」というものがある。
5つの習慣
証拠の問題「どうしてそうだということがわかるのか」
多様性における視点の問題「誰が言っていることなのか」
ものごとの関係やパターンを探ること「何が原因なのか」
仮定「事情が違えば事態はどう変わっていいたか」
なぜこの一つ一つが重要なのか「誰にとって重要なのか」
デボラ・マイヤー 北田佳子訳 「学校を変える力」
意識しなくてもしていられる習慣になるのは、 なかなか難しい。
でも、習慣になっていたら確かに強く太い自分になっている気がしませんか。
未成年の自殺
2017年5月28日の朝日新聞のフォーラム「君は一人じゃない」小さないのち
そこには、減らない子供の自殺のことが載せられていた。
いじめ問題にスポットを当てた記事であった。警察庁のデータを見ると、年々自殺率は減り続けているのに、未成年のそれは横ばいだった。
その中で、多岐にわたる原因・動機で、1番多かったのは「学業不振」、「進路に関する悩み」の多さが気にかかった。「未来への投資」のであるはずの「学習」が命を絶つ理由になっている。
学校関係者として、とても悲しい事実である。
そして、3日後の5月31日、朝日新聞の小さな記事に15〜39歳の自殺政府白書「深刻」の記事を読んで、さらに悲しくなった。
10歳から44歳(5歳区切りの統計)までの死因の第1位がなんと自殺であるからである。15〜34歳までの(5歳区切りの統計)第2位の死因は不慮の事故。社会生活の中で防げたものかもしれない。命を失っている。
自殺の理由の内訳を見ると、「遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上可能 」としているが、自殺の動機の理由の中で「学校問題」が一番多く選ばれている。 その中でも対人関係の理由よりも、入試や進路、学業不振が上位を占めている。
いじめをはっきり示唆できずに学業の陰に隠れているのかもしれない。それでも、学校履歴によって死を選ぶ若者が数多くいることは間違いない。
毎年500人以上の未成年がその命を絶っている。