学校教育リフレクション

「教育とは何だろう」を様々なところから考えています

くしゃみを注意する

 派手なくしゃみをする生徒に、「随分派手なくしゃみをするな」と声を掛けたら、

○○先生達には、「注意されました」と返ってきた。

生徒の受け取り方だと思う。

「くしゃみをやめなさい。その咳払いは何?」と言うのでは、誤解が生まれる。

 いじめの「しぐさ」の一つであれ、その言い方には教師の高圧的な上から目線(別の言い方を考えたい:教師のしっかり指導しなければならないを上手く表現したい)では、伝わらない。

 まずは「心配している、気になる」を伝える。「大丈夫か、風邪か」など

 何人もするなら全体に投げかける。「クラスで流行っているのか」など

 いじめの「しぐさ」特定の生徒の時だけするなら、はっきり聞く「○○の時に多いようだけど、どうして?」生徒指導が厳しい状況になっているなら生徒から「先生の勘違いですよ」と返ってくる。沈黙が続くなら生徒の中にためらいや罪悪感がある。「やめようね」で終われる。

 「先生の勘違いですよ」と公然と教師に言い返された時は細心の注意を払う。本当に自分(教師)勘違いなのか。いじめの「しぐさ」を感じる先生は勘違いではないと思います。ここで「そうか、先生の勘違いか」と認めてしまうと、いじめの「しぐさ」は教師公認の「しぐさ」になってしまう。

 どうすればいいのでしょう。「そうかもしれないが先生はそう感じるし、もしわざとなら、それはイジメです。本人がそうではないと言っても私はイジメだと思います」と伝える。そして、担任や学年の先生にその事実を伝える。

 いじめは必ずしも多数から一人に向けられるものではない。たった一人からのイジメもある。いじめは決してなくならない。だからこそ授業の中のいじめの「しぐさ」を見逃してはならない。いじめられている生徒は、認めたくないし自分がそうされても仕方がないと思っているかもしれない。

マイノリティがマジョリティ

『マイノリティがマジョリティ』は、前川喜平と寺脇研の本に出てくる。

これからの日本、これからの教育 (ちくま新書)

これからの日本、これからの教育 (ちくま新書)

 

 少数派が多く締め、その総和が過半数を超え多数派を上回っている。というもの。

 貧困家庭が何%、ひとり親家庭が何%、発達障がいが何%というようにすべてを足し算しての話である。ひとり親で発達障がいの子どもを養育している。そのような重複を見込んでいない。話としてはとても面白く頷けるところもある。マイノリティという時点で多数派から追い込まれている。生きにくさや偏見に苛まされている。様々なマイノリティに対する理解を広めないと名前をつけてレッテルを貼ることになる。認知が広がるのは好ましいことかもしれないが、それが偏見や弱い立場にいる人たちの標的になってしまうとしたら、とても哀しいことになる。いっそのこと学級ひとクラス分の全員のマイノリティの分類があったら素敵なことになる。

 全員同じではない、ひとりひとりが違っていて当たり前。

 そして、その違いをみんなで認識する。全員マイノリティの名前がついているから。

   それはとても素敵な感覚で、深い時間を過ごせると思う。

物凄いマンションを見上げてみれば!?

どんどんマンションが建てられている。低金利の駆け込みという話もあるが。

景気も金利も関係ない。

あの見上げるようなマンションに住んでいる人がいて、それをペイできる。

そういう人たちが、たくさんいる。

目線を落とせば、段ボールに寝泊まりしている人もいる。

どうしてしまったのだろう?

人より頑張ったから、そうなったのは自己責任、

経済的な弱者が別の弱者に敵意を向けている。

朝日新聞20180505「憲法を考える3⃣」:井出教授慶応大教授)

 

子どもの数はどんどん減っている。人手不足だから外国人に来てもらう。

引きこもり、生きづらさを感じて表に出てこれない。

社会との関わりを持ちにくくなっている人がたくさんいる。

ネット難民、最貧困女子、奨学金破産、

日本の「子どもの権利」に関する立ち遅れは、国連からも指摘されている。

(条約44条に基ずく政府報告審査2010.6.20)

障がいを持つの人への偏見と乖離。

パラリンピックはとても意義深いものであるけれど、

知的や情緒に関する障がいに対しては、?!

セクハラ、パワハラレイプ疑惑

どれも同じなじように見える! 

本人の意思によらない力の弱きを攻める、突く、見下す

 

「子どもを生むのは一人の女性、でも育ててていくのは社会の役目」

とどこまで本気で思えるのか!

社会に参加していなければ、それは国とって大きな損失と思えるのか!

 

マンションを見上げると、なんだか頭をよぎっていく

 

「わかった」から理解へ

 

より深く「わかる」ために

心理的な能力は、それぞれ異なる神経ネットワークによって支えられている。

  ・視覚や聴覚、触覚を介してモノを知覚する能力

  ・モノの交換的位置を知覚する能力

  ・言語を操る能力

  ・数を操る能力     など

 

(1)大きな脈絡と小さな脈絡の理解

 小さな脈絡が阻害されているのに、日常生活には支障がない。

  例えば、数概念という道具的能力に障害があるのに日常生活に支障がない。

 小さな脈絡はすべて保たれているのに、日常生活に支障がある。

  例えば、「花に水をやる。雨の時には傘をさす。」雨降りに水やりをする。

(2)浅い理解と深い理解

 文字列の違い(浅い理解)と意味の関連(深い理解)

  例えば、タバコとスバコの字の違いは瞬時にできる。(浅い理解)

      意味的に関連があるのか判断するには時間がかかる(深い理解)

(3)重ね合わせ的理解と発見的理解

 重ね合わせ的理解:答えが自分の中に用意できる。学校教育という教育形式が代表的なものになる。学校教育が様々なモデルを教えるのは、自分の判断の基準として人生を切り開いていくためある。

 発見的理解:答えが自分の外にしか存在しない、自分で仮説を立てて、検証して理解していく。

 重要なのは、後者の理解である。

 

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)より

 

 

「わかる」ために何が必要か

わかりたいと思うのはなぜか

 我々は何にでも意味を見つけたがる。意味をつけないと落ち着かない。意味とは、わからいものをわかるようにする働きです。意識は情報収集のための装置。情報収集とは、秩序を生む心の働きです。わかるというのは、秩序を生む心の動き。秩序が生まれるとわかったという信号を出す。その記号が出ると快感や落ち着きが生まれる。

 生きるということ自体が情報収集となる。

1.記憶と知識のの網の目を作る

 わかるためには、それなりの基礎的な知識が必要になる。

2.「わからない」ことに気づく

 心の異物感。自発的にわからないところをはっきりさせて、自分で解決していく。

3.すべて一緒に意識に上げる

 作業記憶。図という手段によって全体の関係が同時に意識できる。

4.行為(運動化)にする

 運動化(字を書く、自転車に乗れる)することは形をはっきりさせる。

 人に説明すると、自分の「わかった」「わからない」が見えてくる。

5.応用(知識を別の場面で使う)する

 知識の引き出しが別々になっているのは、見かけの知識だけで納得してしまい、見かけの裏に潜む共通の原理までわかっていないから。

別々の記憶と知識を(応用)つなげていくと見えてくるもの(わかった)がある。

 

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)より

どんな時に「わかった」と思うか

1.直感的にわかる

 「わかった」という体験は経験の一つの形式であって、事実とか真理を知るというここと必ずしも同じではない。

2.まとまるとわかる

 解きほぐされ伝えられたものを、もう一度心の中で解きほぐされる前の心象へまとめ直す。上手くまとめられると「わかった」という感情が生じる。

3.ルールを発見するとわかる

 思考という心の営みの一つの目的は、見かけの世界(知覚心象の世界)の背後にあるルールの発見しようとすること。

4.置き換えることでわかる

 ひとつの心象だけではわかるという経験は起こりません。自分の持っている何かほかの心象と置き換えられたとき「あ、そうか」とわかるのです。

 

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)より

記憶がなければ「わからない」

 記憶を土台に、初めてわかるとかわからないとかいう心理的な反応(感情)が生まれる。記憶がなければそもそも反応(わかった)自体、出現しようがない。

記憶のいろいろ

◎意識に呼び出しやすい記憶

(1)出来事の記憶

   自分の身に起こる(移り変わる生活の流れ)一回一回の出来事を記憶する

(2)意味の記憶

   生活に必要な様々な概念や約束事の記憶

    ①ことがらの意味:意味記憶、記号知識として取り込まれるものすべてのもの

             何度も繰り返し経験することで少しずつ作り上げていく

             漢字、仮名、数字、社会共通

    ②関係の意味:事柄と事柄の関係がどうなっているのか。経験を重ね合わせ、

           そこから抜き出していくもの。

           関係を空間的にイメージできる能力が意味理解の土台

    ③変化の意味:共通特徴を持つ変化や動きを抜き出して、心象化して名付ける

◎意識に上りにくい記憶

 手順の記憶

  繰り返しているうちに脳が手順を抽出してくれる。

  日本語の文法は文法書で学ぶのではなく、日常の経験の中で自然と抜き出される。

 

 こうした記憶、意味記憶や手順の記憶を武器に、我々は新しい事実、新しい経験に立ち向かう態勢を整える。

 

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)より